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与論のむかし(風景)
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与論のむかし(風景)
与論島のむかしの風景です。
上空より茶花港方向を望む。海岸線中央モクマオウ林が茶花墓地、 その左は南島開発及び観光ホテル、そして湾左奥が江が島桟橋
昭和53年頃の大金久海岸。 観光ブームの絶頂期(昭和55年頃)にはこの海岸びっしりとパラソルで埋め尽くされていました。
人けも絶えたオフシーズンの大金久の海岸
大金久海岸の沖合に、干潮時に現れる岩礁のようです。
ミナタ離れに面した海岸
前浜海岸沖の岩礁?
手前の浜がイチョーキ長浜。奥の白浜が茶花の海岸
江が島側(現在の発電所近辺)よりイチョーキ長浜を望む。 浜の左奥が茶花の港、右の道路は江が島に続く。 現在ではこの写真にある浜の手前側半分は海浜公園となり、砂浜は跡形もない。
弁当を持ってこの天然の岩棚で遊んだものです。
昭和13年頃のよろ丸。この船は与論村営の木造船で昭和11年から与論-沖縄間に就航、島民の足として利用されていましたが、昭和19年に空襲により沈没してしまいました。
江が島桟橋の完成(昭和38年)によって念願の茶花港への接岸が叶いました。
イナファゴーにを水源とする与論唯一の小川の河口。茶花墓地の西、南東開発の脇を通り茶花港にそそぐ。潮の干満によって、川筋となったり、大きな池のようになったりする。 いろいろの小魚が群れているのを、捕まえて遊んだものです。今では、暗渠の排水路があるのみです。
両側のサトウキビ畑の間をぬって、高台の社に向かいます。まだ社も古いままです。
ウローの県道
与論島唯一の延長2キロメートルの直線道路です。
この花は数十年に一度しか咲かないとか教わったけどほんとうでしょうか。 この花の幹の部分を枯らせるととても軽く丈夫な丸太となるので、それを組んで筏(いかだ)を作って遊んだものです。
ご存じ供利の一本松。遠くからでもよく見えました。いつしか枯れてしまって、今はもうこの雄姿は見えません。
既に木は枯れ、葉も落ちてしまっています。
開港まもない頃の与論空港です。(昭和51年)
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