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与論のむかし(街並)
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与論のむかし(街並)
与論島のむかしの街並み、建物です。
メデオ商店前より海岸方向を望む。(昭和30年頃)
前の写真の位置より少し下った辺りです。
(昭和54年)観光ブームの頃の通りの様子。「祝与論港初接岸」(供利港)の横断幕が見えます。 それにしても、路上の車は、勝手な方向に走っているように見えませんか?
(昭和36年頃)メデオ商店前より茶花小学校方向を望む。奥から来る車はボンネットバスでしょうか。
海岸近く銀座通りに曲がるT字路前有村商店の辺り。 (昭和34年)
中央通りT字路から銀座通りに入った辺り。
南島開発前のT字路付近(現在の郵便局近く)。奥の2階建ての建物が農協ビル
海岸際に建つ中央の建物が昭和47年頃の発電所(茶花公会堂より臨む)
役場正面玄関脇にありました。沖縄が復帰する昭和47年までは、 国境の島として国のCIQ施設(税関・入管・検疫)が設置されていました。
同じく役場の近く海岸側にありました。
当時村における唯一の医療機関としてまさしく村民の命の綱でした。 現在の町立図書館のある敷地に建っていました。右奥の建物(工事中)は伝染病棟です。
昭和18年に開設された足戸郵便局。(昭和29年に朝戸郵便局に改称) 建物の建つ場所は、今の位置より東南側にありました。
正しくは沖永良部警察署与論派出所。現在の漁協の建物のある辺り、 T字路の角地に建っていました。建物は琉球政府時代のもの。
現在の茶花公民館の敷地にあって、当時島で唯一のイベント会場として いろいろな社会行事や、島外からの演劇などもここで開催されました。また、茶花小学校を鉄筋校舎に建て替える間の2年間近く、教室としても使われました。
昭和38年から与論工場が操業を開始しました。
島で唯一の銭湯
看板の「テレビ」に注目。テレビがほとんど普及 していなかった頃、テレビや、ニュース映画などを見せていました。
典型的な与論の民家。母屋(ウイヤー、居間、寝室)と下家(トーグラ、台所) に分かれていました。
柱で床を支え、下の床には農機具を収納、屋根裏に穀物などの収穫物を保存してネズミなどが侵入出来ないようにした倉庫建物。
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